仲人の舘です。
結婚50周年の記念日は、金色の輝きを得たという事で「金婚式」。
しかし、ただ単におめでたいと言って大騒ぎするものではなく、この日を迎えた事に感謝する日でもあるという事を知っておきましょう。
そもそもなぜ、ゴールドの価値が高いのかと言うと、鋼鉄のように人工的に合成して作り出す事が出来ない上、元々地球上での埋蔵量が限られているからに他なりません。
そして、その限られた資源のうち、人類はもうすでに3分の2以上を掘り出してしまっています。
従って、残るは3分の1程なのですが、何せ発掘が容易なところから先に掘り出してしまいましたから、もはや秘境か海底にしか残存していないと言っても過言ではないのです。
おまけに、それらを全て発掘出来たとしても、僅か50メートルプール1杯分程度にしかならないと言うのですから、益々高騰化するのは致し方のない事なのでしょう。
実は今、この金の価値の上昇化は、夫婦生活にも反映されていて、人生60年と言われていた時代には、50年間連れ添う事自体が至難の業でした。
しかし、平均寿命が80歳となった今では、30歳で結婚しても、十分金婚式まで夫婦揃って元気でいられる可能性は高い訳です。
私どもの結婚相談所で結ばれたお二人には、ぜひとも金婚式を迎えていただきたいと願わずにはいられません。
仲人の舘です。
本日(平成27年4月6日)の読売新聞朝刊・東京本社版(販売部数:5,837,994部)に、私どもの結婚相談所の仲人業経営者「自宅でできる結婚相談業」の広告が掲載されています。
自宅でできる結婚相談業にご興味ある方は、フリーダイヤル 0120-86-6666 まで資料をご請求ください。
仲人の舘です。
「そうよ、誕生石ならルビーなの…♪」という歌が爆発的ヒットを飛ばして以来、7月生まれの女性にルビーの指輪を贈るのは、日本でもすっかり定番となりました。
しかし、例え7月生まれの奥様でなくても、結婚40周年にはぜひ、いえ、必ずルビーの指輪を贈りましょう。
なぜなら、結婚40年目の記念日は、何を隠そう「ルビー婚式」だからです。
ルビーと言えば、真っ赤な宝石というイメージをお持ちの方も多いかと思います。
事実、40年間連れ添った夫婦の愛と信頼は、炎のように赤く熱いというところから命名された記念日ですが…。
実はこのルビーという宝石、よく見ると、ちょっと黒っぽい赤だったり、紫っぽい赤だったりする事は珍しくありません。
というのも、ルビーという岩石は元々なく、コランダムという鉱物に不純物であるクロムが混入して赤く変色している物をそう呼んでいるだけ。
そして、このクロムの代わりに、イオンやチタンが混入すると、黒っぽくなったり、紫っぽくなったりするという訳です。
確かに、夫婦だって、真っ赤に燃えた炎のような熱い信頼と愛に包まれているとは言え、40年もの長い歩みがあれば、人それぞれ、違った赤みを持っておられる事でしょう。
正に100の夫婦がいれば、100のドラマがあって、100の赤色があるという事です。
型に押し込めずに、自分たちの夫婦の形をつくって行けばいいのですから、肩の力を抜いて幸せだけを噛みしめて結婚に向かってください。
仲人の舘です。
台東区生涯学習センター(台東区西浅草3-25-15)前にある台東区の掲示板に、私どもの結婚相談所の看板を付けさせていただきました。
日本一の道具街と呼ばれる浅草にある「かっぱ橋道具街」にも面し、人通りも多くかなり目立つ場所です。
仲人の舘です。
人生60年と言われた時代に、金婚式を迎える事が大変な偉業だったとすれば、人生80年となった今、プラチナ婚式を迎える事こそが、本当に偉業を成し遂げる事になるでしょう。
という事で、結婚75周年の記念日、それが「プラチナ婚式」です。
ここまで連れ添える事は正しく、神様が与えてくれた寿命があってこその事で、それは白金のごとしの奇跡というところから命名されたようです。
確かに、医学がそれほど発展していなかった時代には、夢また夢の世界だったのでしょう。
ただ、それは今でも大差はなく、後5年は厳しいと思われるご家庭では、70回目の結婚記念日をプラチナ婚式として祝われる事もしばしばです。
そして、その場合は、幸運にも75回目の記念日も迎えられれば、「ダイヤと金婚式」として、再び祝福するというのが習わしになっているようです。
しかし、最初からプラチナ台のダイヤモンドリングを結婚指輪として選ばれるカップルは非常に多く、そういう意味では、人生の幸せを先取りとでも言ったところでしょうか。
ただ、耐久性に優れたプラチナは、その色合いがダイヤモンドを最も美しく見せる特性も持っていて、この選択は大正解。
ですので、それこそ一生身に付け、2人の歩みの苦楽をずっと見守り続けて来た指輪を主役にしたプラチナ婚式を迎えられるのが最高ですね。
そこまで一緒にいようという覚悟を持てば、叶うことかも知れません。